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Special Interview
楽曲制作者 ハタユウスケさん
運営インタビュー編

世界の終わりは君とふたりで」、「尊しあなたのすべてを」、「愛はどこいったの?」、「わたし夜に泳ぐの」と確かなシューゲイザーサウンドとグッドメロディでRAYの鉄板曲を生み出してきたハタユウスケ(cruyff in the bedroom)。良曲を生み出す感性と、単に音を鳴らす、生み出すだけではなく、ファッション、カルチャー、シーンなど音楽周縁の様々な要素を巻き込みながら活動を続けるそのマルチプレイヤー性にも迫った。

■先輩から多くを学んだ

運営(楽曲ディレクター・みきれちゃん) ユウスケさんと僕は、お互いパンダが好きなのでパンダ情報を日常的にやり取りする仲ですが(笑)、一方で僕は学生時代からユウスケさんの所属するcruyff in the bedroomの熱心なリスナーで、cruyff in the bedroomやユウスケさんを遠い存在のように感じていたので、今の関係性はかなり不思議な気持ちがしているのも事実です。

 

ハタユウスケ(以下ユウスケ) パンダ情報、先週もお送りしましたね(笑)。

 

運営 さて、5/8のワンマンや今回のインタビューは、普段RAYを支えてくださっている方々にフォーカスするテーマですが、例えばサウンドエンジニアやPAという仕事に比べると、楽曲制作者というのはお客さんにもイメージしやすい存在だと思います。

   一方で、ユウスケさんはいわゆる音楽制作に閉じない存在だと感じています。今日はいわゆる音楽屋とは違う側面のユウスケさんにフォーカスできればと思っています。

   あらゆるクリエイティブにおいて、ひとりの力だけで作り出されるものって基本的にはないという感覚が僕にはあります。RAYのクリエイティブもそうだと感じていて、RAYを作り出す「チームRAY」みたいな視点から考えたとき、そこで重要な役割を実は担ってくださっているのがユウスケさんだと、そんな風に思っています。どう思われますか?(笑)

 

ユウスケ ちょっと人生最良の日ってくらい褒められてて気持ち悪いんですけど(笑)。でもいつも飲み屋で2人で話してるような話題ですよね。

 

運営 自分の表現したいことを表現するだけではなく、シーンをどう盛り上げていくか、どう人を繋げていくかということを積極的にやられているように見えます。でもそれは強い意志を持ってやっているというよりは、もうごく自然なふるまいとしてユウスケさんはやっちゃっているように感じています。そういう、「人間ユウスケ」みたいなものがどう作られてきたのかも聞いてみたいです。

 

ユウスケ そんな目で見とったの、俺のこと。多分そういう行動ができる人って、自分自身もそういう風に育ててもらった過去があったりするのかなと思います。確かに先輩とかすごい世話になった人いっぱいいます。

 

運営 そういうお話、是非伺いたいです。

 

ユウスケ まだ18歳くらいの時東京でライブに出られるようになったきっかけが先輩のパンクバンドのCRACK The MARIANで、あの人らが可愛がってくれたから、東京でライブをできるようになったんです。ツアーにも連れて行ってもらったりもして。ティアドロップスもすごい可愛がってもらいました。僕らは先輩に恵まれましたが、そこはいまだに感謝しています。この間でかい地震がきた時も、「ユウスケ大丈夫か」って沖縄から連絡してくれるんですよ(笑)。こんな嬉しい先輩いなくないですか?それが18歳くらいの時なんで、もう30年くらいの付き合いです。

 

運営 当時は当然後輩として音楽活動をスタートするわけですが、長い間やっていくと自分が先輩になって、ユウスケさんの後輩もできてくると思います。

 

ユウスケ 後輩的な存在はいるんでしょうけど、仲間という感覚ですね。

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■シューゲイザーとの出会い、cruyff in the bedroomの結成

運営 今聞いたのは音楽活動を始めて間もない頃の話題だと思います。その後はどんな活動歴を辿ったのでしょうか。

 

ユウスケ 18歳でバンドを組んで、20歳くらいまではいいスピード感で行けたと思います。ワンマンとかもバンバンやれる時代で、東京でも人気は出てたと思います。でも全然デビューはできなかったんです。デビューの話自体はいくつもあったんですが、今でこそSNSやらありますけど、当日はまじで電話とFAXなんで(笑)、メールすらないし話がすれ違うことが何度もあって。それで、これじゃあかんな言って、そろそろちゃんとプロになりたいし東京行こうってみんなで言って。24歳くらいでデビューして、その事務所に3年くらいお世話になりました。27歳の時に音楽が面白くなくなって、もう辞めるみたいになったんです。

 

運営 バンドをですか?

 

ユウスケ そうです。めっちゃ仲悪くなってたんですよ。その時もうシューゲイザーみたいなものには出会ってて。でも当時、1990年頃ですけど、僕リーゼントだったんですよ。デビューするにあたって、事務所からリーゼント下そうっていう話があって、個人的にはリーゼント下ろしてでも売れたい思いはあって。当時リーゼント界隈の先輩方、デビューするときにみんなリーゼント下ろしてたんですね。それもあって、まあええやろみたいな。

     でもリーゼント下ろしたら音楽性までやっぱり変わってくるというか。ファッション変わったら音楽も変わるんですよ。音楽、ファッション、カルチャーは三位一体になって欲しいし、そういうもんだと思っているタイプなんで。その時にいわゆるモッズファッションみたいなものを教えてもらって。

 

運営 そこからUKなんですか。

 

ユウスケ そうなんです。

 

運営 シューゲイザーと繋がってきました。

 

ユウスケ 有名なモッズのバンドってThe WhoとかSmall Facesとか、今でも大好きなんですが、もっと掘っていくとThe Creationっていうバンドがいて。あのイギリスのCreation Recordsもこのバンドから名前を取っていて、Creation RecordsのMy Bloody Valentine、Ride、Boo Radleysとかその繋がりでどれもハマって。RideがThe Creationの「How Does It Feel To Feel」を聞いてなんじゃこれと驚いて。

     シューゲイザーの原体験としては、高校生の時にThe Jesus and Mary Chainがデビューしてるんです。知人が『Psychocandy』を貸してくれたんですが、聞いてなんじゃこれと驚いて(笑)。なので、昔から自分の中にシューゲイザー的なものは存在してるんです。ただなんじゃこれでもかっこいいなで終わってたんです。もっとテンポの早いパンクの方がかっこいいとか思ってたから。でまぁその後に紆余曲折してCreation Recordsに出会って、シューゲイザーに落ちていきます。

 

運営 『Psychocandy』のリリースが1985年なので、僕が生まれる前年です。

 

ユウスケ そんな若かったでしたっけ?(笑)

 

運営 cruyff in the bedroomの結成がいつでしたか?

 

ユウスケ 1998年です。

 

運営 当時周囲にいたシューゲイザーバンドといえば?

 

ユウスケ VENUS PETER、Loco-Holidaysは当時から活動していました。

 

運営 Luminous Orange、Hartfieldも同じ時期ですよね。

 

ユウスケ そうですね。Hartfieldだけ2000年結成なのでcruyff in the bedroomより若いです。

 

運営 当時どんな発想というか、雰囲気の中でシューゲイザーをやろうという意識がバンドの中で醸成されていったのでしょうか?

 

ユウスケ cruyff in the bedroomの前のバンドで最後のアルバムを作るときに、シューゲイザーみたいなサウンドをやりたい思いはすでにあって。でもさまざまな大人の力学でそれができなくて。でも、最後のシングルとかめっちゃノイズ入ってますし、それこそThe Velvet Undergroundの「SUNDAY MORNING」のカバーとかやってます。ノイズまみれです(笑)。バンド内がまとまらなくなってて、でも事務所が優しくて、もし続けるなら面倒見るよって言ってくれて。それでベースのヒデちゃん(注:ヒロナカヒデユキ)とも、やりたいことやるか、みたいな感じになって。彼程すごいベーシストはいないと今でも思ってます。

 

運営 本当にすごいベーシストだと思います。

 

ユウスケ 何やってるかわからない、すごい変なのにメロディアスで、ちゃんとハマってるんです。

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■Total Feedbackのスタート、人の縁

運営 Total Feedbackを始めるのはいつでしょうか?

 

ユウスケ 高円寺HIGHのオープン時だから、2008年からです。

 

運営 cruyff in the bedroomが結成した1998年からTotal Feedbackが始まる2008年まではどんなことがありましたか?当時はシューゲイザーシーンなるものはあったのでしょうか?

 

ユウスケ シューゲイザーバンドはいましたけど、シーンと呼べるようなものはなかったと思います。旗振り役みたいなことをするようになったのは、下北沢CLUB Queでシューゲイザーイベントをするようになってからです。2、3ヶ月に1回はやってました。高円寺HIGHがオープンするまでは下北沢CLUB Queがホームでした。

 

運営 僕は関西で学生をしていたのですが、地域が離れて、シューゲイザーどっぷりというわけでもない僕にも、cruyff in the bedroomの人が主催しているシューゲイザーイベントTotal Feedback、という情報は届いていました。

 

ユウスケ 2008年はシューゲイザーバブルみたいなのも起きていたことも影響しているように思います。Total Feedbackのコンピレーションアルバムを出したのですが、レーベルはコロムビアでした。当時のシューゲイザーはメジャーがやりたいと言ってくれるようなジャンルでした。

 

運営 ちょっと話を本線に戻します。ユウスケさんとRAYの関係性みたいな話題ですが、RAYはRingo Deathstarrに「Meteor」という曲を作ってもらいましたが、実はRingo Deathstarrと繋いでくれたのはユウスケさんだったりします。台湾遠征もTotal Feedbackとして誘ってくださり実現しました。僕は割と腰が重いので負荷の高いイベントを避ける傾向にあるのですが「バンドセットやりましょうや」と半ば力づくで誘ってくださったのもユウスケさんだったりします(笑)。こんな経験から、ごく自然に人や出来事を繋いで行くことのできるユウスケさんの人間性みたいなところにフォーカスしたい、というような切り口でここまでお話を聞いてきました。小まとめとしては面白いと思ったことや変わったことをそのタイミングで一生懸命やってきた結果なんだろうなという気持ちがしています。

 

ユウスケ ノリできたので、まだノリでいきます(笑)。

 

運営 ただやっぱり、毎月Total Feedbackを続けることは並大抵のことじゃないと思います。しんどいなと思うこととかないんでしょうか?

 

ユウスケ コロナ禍で配信をやるようになってからは(注:Total Feedbackは新型コロナウイルス感染症の流行以降生配信にも力を入れている)、バンドの転換中に入るバラエティー番組の撮影などで助けてくれる仲間も増えてみんなでやってるような感覚が強くなって、しんどいより楽しい感覚が増してます。それ以前は、シューゲイザーってどうしてもニッチジャンルなので、イベントも苦労することがあって、フード入れたり試行錯誤しながらやってはいましたけど、配信をやるようになったのは結構転機かもしれないです。

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■アイドル的なものとヒーロー的なもの

運営 話題をガラッと変えます。アイドルってどう思いますか?みたいな質問を用意しているのですが。僕はアイドルってヒーロー性みたいな部分があると思っていて、そのあたりでアイドルであるRAYとユウスケさんとの通奏低音みたいなものがあるのではと想像しているのですが。例えば、cruyff in the bedroomのライブでのユウスケさんの振る舞いからはヒーロー性みたいなものが滲み出ている。

 

ユウスケ いやいや。

 

運営 いや出てるんです。RAYのファンの方からもヒーロー性というか、スター感を感じるみたいな話をされたことがあります。音だけ追及していればいいみたいな考え方に、寄りすぎないことは大事だろうなと思っていて。何かそういうムードは日本には希薄な気がします。

 

ユウスケ 日本だけじゃないと思います。Kurt Cobain(注:伝説的ロックバンドNirvanaのギターボーカル)が全部壊したんですよ。絶世の美少年があんな汚い格好してもオシャレだったこと、あそこでロックスターが死んだんです。

 

運営 僕が思春期を過ごした頃にそれこそファッション的、カルチャー的に音楽を表現しているヒーローはいなかった感覚があります。そう育ってしまった部分はあって。

 

ユウスケ みきれちゃんは86年生まれですよね?THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとかBLANKEY JET CITYとかはそういう存在だったと思います。音楽とカルチャーの結びつきみたいなのは2組の登場で変わりました。

 

運営 僕はヒーロー不在の思春期を送ってしまったのですが、ある時期から音楽は音楽以外の要素を巻き込んで音楽なんだということを感じはじめて。この時期が、自分がアイドルに興味を持ち始めた時期とぴったりマッチしているんです。こういう経緯もあって、僕の中でアイドル的なものとヒーロー的なものって被るイメージを持っています。話を戻すとそういうアイドルとヒーローの共通項みたいなものをステージ上のユウスケさんに見出している感じはあるかもしれません。

 

ユウスケ 自分のことは置いておいて(笑)。かっこいいなあって思う人のアイドル性はありますね。VENUS PETERの沖野さん、dipのヤマジさん、PEALOUTの近藤さんとか、見ててめっちゃかっこいいです。

 

運営 アイドルも可愛いだけではダメだし、曲がいいだけでもダメだし、もう一歩踏み込んで何かそこにあるんじゃないかみたいな。歌って踊って可愛いだけでもダメだし曲がいいだけでもだめだし、なんかもう一歩踏み込んでえっとやる必要があるよねっていう。

 

ユウスケ なるほど。

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■いいメロディーへの思い

運営 最後にちょっとだけ作曲者トークいかせてください。先ほどのメンバーインタビューでどうやって曲を作っているかという話で、歌詞とメロディーから降ってくるのが一番しっくりくるという話題がありました。

 

ユウスケ その形が、言葉のリズム感や、メロディーへの乗りが一番自然だと思います。メロディーに後から言葉を嵌め込むのは、気持ちよく歌えなくなったり、言葉としてうまく成立しなくなる気がしていて。

 

運営 作詞/作曲/編曲というレイヤー分けした場合、編曲の下から作っていく人、作詞/作曲の上から作っていく人がいると思います。上から作れる人はすごいし、強いと思います。

 

ユウスケ 弾き語りでちゃんと歌えるメロディーが一番強いと思います。その後の編曲はなんとでもなるというか。

 

運営 ユウスケさんの曲の強さは一聴して「上から作っているな」と分かるところにあると思います。

 

ユウスケ 弾き語りの強度だと思います。

 

運営 なるほど。一方でシューゲイザーは編曲の音楽でもあると思います。ユウスケさんの上からの歌詞、メロディーと、下からの土台的なシューゲイザーサウンドが交差するところに魅力が生じているようにも感じますが。

 

ユウスケ とはいえやはりメロディーだとは思います。RAYの制作ではメロディーが浮かんで、同時にもう編曲の音がもう鳴っていて。

 

運営 歌モノといっていいのかわかりませんが、いいメロディーのシューゲイザーバンドは貴重な存在ではと思っています。

 

ユウスケ その意味だとPLASTIC GIRL IN CLOSETもその枠ですね。メロディーセンスが素晴らしいです。

 

運営 上から作っていくのが正攻法、というのは世界共通なんでしょうか?

 

ユウスケ それこそRingo DeathstarrのElliott(注:RAYの「Meteor」を作曲したElliott Frazier

)も上からだと思いますよ。編曲はどうとでもなるので、俺は編曲は歌にとって飾りくらいに思っています。メロディを引き立たせるものが編曲というか。あるいはバンドの趣味趣向かなと。「世界の終わりは君とふたりで」も何パターンも世に出てるじゃないですか。弾き語りのアレンジはめちゃくちゃ良かったです(注:原田珠々華さんによるカバー)。

運営 最後にあまり面白くない質問なのですが。

 

ユウスケ やめときましょ(笑)。

 

運営 僕は自分で作曲しますが、いつまで経ってもアウトプットを前にしても「自分のものだ」という感覚があまりありません。

 

ユウスケ 前も言ってましたね。まだないんですか?

 

運営 はい。ユウスケさんはそんなことないですか?

 

ユウスケ 全然ないですね。もう俺やからと思ってますよ(笑)。性格の違いじゃないですか?

 

運営 なるほど。いつか自分の曲だという実感をちゃんと持ちたいです。では、最後に何かメッセージがあればお願いします。

 

ユウスケ また曲書かせてください!

 

運営 こちらこそ是非お願いします。ありがとうございました。

今回の運営インタビューでは、音楽に留まらず、それを取り巻くファッション、カルチャー、シーンにも目を向け動き続けるユウスケの音楽観、人生観に触れた。持ち前の人柄で周囲を巻き込みシーンを作り出していくエネルギーは、今後のRAYの活動にもポジティブな影響を与えてくれるだろう。メンバーインタビューでは、魅力的な楽曲のメロディ・歌詞・テーマの制作法、シューゲイザーシーンにおけるRAYの存在についてなどが語られている。未読の方はぜひお読みいただきたい。

 

Special Interview 楽曲制作者 ハタユウスケさん 〜メンバーインタビュー編〜

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